++ What
cats feel 4 ++
春が過ぎ、夏がやってきても、ロイの目にする風景は色を失ったままだった。周囲は皆、母親の死から立ち直っていないのだろうと推測し、彼を哀れな子供として腫れ物に触れるように扱った。
彼は以前にも増して他人が寄りつくのを億劫に思うようになり、事実、どこにいても独りきりだった。 「ローイ!!」 庭先でサルビアの蜜を吸っていた少年の唇から、朱い花弁が音もなく落ちる。目を向けた先で美しく波打っているのは、陽の光を一身に浴びたような金髪の女性だった。太陽の女神、とロイは思った。 「どうして、ここに?」 ぴったりと頬を寄せ合ってもまだ、信じられない。宝石みたいに輝くグリーンアイズ。血色のよい肌からは、かすかに甘いにおいがした。 エリシア=ヒューズが、ここにいる。 「もちろん、あなたに会うためよ、ロイ!」 少年の夏は突如として輝きに満ちた。咲き競う花々や、鳥のさえずりや、樹々の枝先に広がる緑が急に活き活きと、にぎやかなまでに存在を主張し始めた。少なくとも、ロイにはそう感じられたのだ。 エリシアさえいてくれたなら、と、少年は切れ長の目を細める。 世界は、こんなにも光にあふれるのだ。エリシアさえ彼のそばにいてくれたなら。
夏休みいっぱいをエリシアと一緒に過ごせると聞いたときの、ロイのよろこびようといったらなかった。女中のハンナはおろか彼の父親さえも、この少年にこんな表情ができるとは思わず、目にした光景を信じられなかったくらいだ。 屋敷の中はたちまちのうちに、ピアノの音と菓子のにおいと、そして笑い声でいっぱいになった。陽射しの強すぎる真昼を避けて、二人は毎日のように散歩に出、四つ葉のクローバー探しに夢中になったり、魚釣りに行ったりした。 「あたしね、子供の頃はそりゃあもうママ泣かせの、とんでもないおてんば娘だったのよ」 と、誇らしげに語るエリシアは、体表にぬめりを帯びた川魚が人間の手から逃れようと必死に身をよじっていても平気な顔だ。いまは亡き母のローズマリーだったら卒倒しているに違いない。 身体の弱い花嫁のために、父は東部に屋敷を買った。それなのに、とうとう彼女は片田舎での暮らしに慣れないままにこの世を去った。彼女自身が慣れようとしなかったのが、一番の理由だっただろう。華やかなセントラルに帰りたい、と、死の直前まで口にしていた。 「エリシアの話を聞かせてよ」 釣り竿を手に、ロイはゆめ見るように訊ねた。 「子供だった頃の、エリシアの話」 「……そうねぇ」 と、なかなかに鮮やかなキャスティングの腕前を見せるエリシアの、エメラルド色の瞳が水面下の釣り糸をたどるように細められた。そうやって記憶の片隅に眠る遠い日々をも探っているようだった。 子供の頃はピアニストになりたかったこと。父親がおらず、ピアノを買うことのできない嫁と孫娘を見かねた父方の祖父が祖母を説得し、大切なピアノを譲り受けたこと。見知らぬ女の子をかばって事故死した父親のこと。音楽学校で出会った親友、ローズマリーのこと。ローズマリーの恋人のこと──。 歌うようになめらかに、澄んだ声が薔薇色の紅を塗った唇からすべり出るのを、ロイはここちよく聴いていた。餌に食いついた魚が糸を引いてもおかまいなしだった。 「あたし、あなたのお父様に嫉妬していたのよ。いちばんの親友を取られてしまったと思ったんだもの、当時はね。でも、あなたのお父様のことも、いまではとても好きよ。だって、ローズマリーが好きになった人ですもの。彼と結ばれて、あなたが産まれて、彼女はこんなにも早くいなくなってしまったけれど、きっと悔いは残してないでしょうね。彼がいてくれてよかったわ。本当に、よかったわ」 そう結んだエリシアは空を見上げ、雨が降り出しそうだから帰りましょう、と言った。 雨の気配なんてロイにはちっとも感じられず、もう少し、こうして彼女と二人きりの時間を楽しみたかったが、黙って従うことにした。
その日は夜が来ても、やっぱり雨は降らずじまいだった。 この晩、エリシアは昼間しゃべり疲れたのかいつになく寡黙だった。炉辺のソファに座り、膝の上にやりかけの縫い物を置いていたが、手はあまり動いていない様子だ。 その隣りでロイは本を読んでいたが、どうしてもエリシアが気になって、集中することはできなかった。 夏になってからというもの、普段は書斎に籠もることの多いロイの父までが居間に居座る時間を増やし、このときも真面目ぶった顔で読書していたが、彼もまた時折、ちらちらと一人息子と亡妻の友人である未婚婦人に向けて交互に視線を投げるのだった。 「やれやれ、今晩は一体どうしたっていうんでしょうね。しゃんとしているのは、この年寄りの、ハンナ一人きりとはね!」 家政婦の老嬢は汚れた皿を抱えて台所に入るなり、そう言って大仰にためいきを吐いた。
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