++ What cats feel   1 ++






   
元来が病弱で、床に臥せっていることが多かった母親が他界しても、少年の生活はそれほど乱れはしなかった。不思議なくらい、元の通りのままな気がした。
 少年には、母に本を読んでもらったり、子守歌を歌ってもらった記憶がない。本当は、少しくらいはそういったことを、してもらったのかもしれないが。
 抱きしめられたことも、キスしてもらったことも、あまりない。彼の母親が少年にとって、甘えられる相手でなかったことは確かだった。
 その母親がいなくなっても、少年はあまりさみしいと思えなかった。自分がひどく薄情な子供だという気がして、それだけは少し悲しかった。

 葬儀から数日が経った雨の日、自室で本を読んでいた少年を女中が呼びにきた。年齢のわりには背筋のしゃんとした老婆に急かされて居間に向かうと、ソファに座っていた喪服姿の女性が立ち上がる。それがセントラルシティから駆けつけた、母の友人だというのはすぐに分かった。
「来てくれたんだね、エリシア」
 少年の鼻先はややくすんだ、長くやわらかい金髪の中に埋もれた。母親の親友だったこの女性は未だ未婚だが、ロイにとって母親よりも母親らしい存在だった。
 愛されることに慣れていない少年はしばらくの間、両腕をどうすべきか悩んだ末に、おずおずと女性の背を抱き返した。
「かわいそうなロイ、かわいそうなローズマリー! あたしがもし神様だったら、あなたたちをこんなに早く、引き離しはしなかったのに」
 黒い髪と白い頬に、軽いくちづけとともに涙が落ちる。
 母親が死んだというのに涙一粒出てこない自分を、このきれいなひとは軽蔑しないだろうか。
 そう思うとロイは泣きたい気分になるのに、やっぱり涙は出てこなかった。

「父はもうずっと前から、覚悟ができていたそうだよ」
 霧雨の墓地内をロイは、エリシアと肩を並べて歩いている。
「エリシアも知っているだろう? 母は僕を産むずっと前から、いつ亡くなってもおかしくないと医者から言われていたんだから」
 子供を産むまで保たないと言われた女は、出産で体力を大いに奪われたにも関わらず、生命までは落とさなかった。その後も、この子が一歳になるまで保たない、三歳児となったこの子を見るのは難しい、という節目ごとの医師の予言をことごとく破り、寝台の上からとはいえ、プライマリスクールに入学する我が子を見送ることができたのは奇跡と呼んでよかっただろう。
「お父様はどうしているの?」
 女性の痛ましげな声が訊ね、少年は淡々と答えた。
「口では平気そうなことを言っているけどね。仕事から帰ってきたらすぐ、食事も摂らずに書斎へ籠もってしまうよ」
「無理もないことね。あなたのご両親は、それは愛し合っていたんですもの」
 やがて、小さな墓標の前でロイは足を止めた。エリシアもそれに倣った。供えられた白い花のリースは、雨に濡れながらいまなお美しい。
「あなたはここで、静かに眠っているのね、ローズマリー」
 けぶる雨よりも明確なきらめきが、エリシアの瞳から一筋落ちた。
「もう、死の影に怯えることも、病の痛みに苦しむこともないのね。救いといったら、それだけだわ」
 親友への最後の言葉には無論、返答する者は誰もいない。
 真夏でも蝋人形のように青白い肌をしていた母親のローズマリーと違い、エリシアはいつだって薔薇色の頬をしていた。だが、今日ばかりは旧い友人の死によってか、それとも冷たい雨のためか、彼女の顔も青ざめていた。
 普段の、活き活きと輝かんばかりのエリシアもきれいだが、こんな風に血の気を失った彼女はなんて素敵なんだろう、とロイは思った。
 もしも、僕が死んだなら──死なないまでも、病気か怪我か、なにか大変な目に遭ったとしたら、この人はこんな風に真っ青になって心配してくれるかしら。
 自分の不謹慎な思いつきに少年は一瞬ぎょっとしたが、来た道を戻る間じゅう、小さな頭の中はその考えでいっぱいだった。


 家に着くと夕食の支度が調っており、さして時間を置かずロイの父親も帰宅した。帰るなり書斎に引き籠もろうとした主を追っていったエリシアが戻ってくる。
「しばらくここに居られることになったわ、ロイ」
「……本当に?」
 母親を失ったばかりの子供にしては明るくはずんだ自分の声に、慌てて手のひらで口を押さえた。それから、エリシアの形のよい耳にそっと唇を近づけ、皿の上を指差しながらささやく。
「エリシアの焼いたケーキが食べたいな。ハンナのティーブレッドも悪くはないけど」
「ケーキでもパイでもロイの食べたいものを、腕によりをかけて作るわよ。元気が出るようなおいしいのをね」
 二人は顔を見合わせて静かに笑った。
 ──エリシアと一緒にいられる。それも、何日も!
 熱い頬は、赤みを帯びているに違いない。母親が死んだというのにこんなに喜ぶなんて、自分はどこかおかしいんじゃないだろうか。
 そんな不安に怯えながらも、ロイは高まる胸の鼓動を抑えることができなかった。












                                                                                                                        
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