++ What cats feel   2 ++






 
  エリシアがいる間じゅう、学校には行かないとロイは決めた。表向きは、喪に服すという理由
で。本当の理由は、片時も彼女から離れたくなかったから。
 それに元々、ロイにとってプライマリスクールは退屈な場所だった。理系科目に関しては、学士号を持つ教師たちでさえ、少年の黒い瞳には物知らずの田舎者と映るのだから、同年代の子供にいたっては赤ん坊も同然に思われた。
 エリシアは、無理にロイを学校へやろうとはしなかった。彼女は理解のある大人で、ロイがどちらかといえば特殊な子供であることをきちんと知っていた。

 花の咲く道を行き、野原へ出て食卓に飾る花を摘む。空と風の下で、二人きりの朗読会を開くのも楽しかった。エリシアののびやかな声は、ずうっと先の空の蒼になじむように溶けていく。その瞬間を逃さないよう、ロイは目を瞑って耳を澄ませた。
 別の日には草の中に座り込んで、風に頬を撫でられながら本を読んだ。時折、少年はエリシアの様子が気になって、繰っていたページから顔を上げる。慈愛深い視線が、手にした書物にいかにもやさしく落とされているのを見ると、ロイはたまらない気持ちになった。説明のしようがないなにものかで胸がいっぱいになってしまうのだ。
 行き帰りの道中は、どちらからともなく手をつないだ。母子のように、姉弟のように。そして、仲のよい友人同士のように。
 おだやかに過ぎていく日々。音もなく静かに去ってゆく時間の流れ。時折、ロイは怖くなった。エリシアが急にいなくなってしまいそうな気がして。
 いつまでもこんな風に過ごせたらいいのに、決してそうはならないのだ。エリシアには帰る家があって、少年には彼女を引きとめる権利などない。
 エリシアは母の友人で、その母が亡くなった以上、彼女が再び少年の家を訪れる理由はないのではないか。そう考えると幼い胸は、悲しさのあまり潰れてしまいそうになる。
「ねぇ、エリシア」
 つなぐ手にちょっぴり力をこめて、ロイは彼女の名を呼んだ。
「セントラルシティに帰っても、僕のこと忘れないって、約束してくれないかな」
 少女めいて丸い、エメラルドグリーンの瞳がさらに丸く見開かれた。開いた手で、彼女は少年の黒髪をくしゃりと撫でる。
「意外とお馬鹿さんなのね、ロイ。それともあたしを見くびっていて?」
 あなたを忘れるだなんて、そんなことあるはずないじゃないの。
 その言葉は、くちづけとともに降ってきた。ぽっちゃりした唇のやわらかな感触は、少年の頬にいつまでも留まって熱を放った。少なくとも、ロイにはそう感じられた。

 家にいる間も、楽しいことばかりだった。
 砂糖漬けの果物をたっぷりと入れたケーキは、お客に家事をさせるなんてとんでもない、と自分の城を明け渡したがらなかったハンナさえも唸らせた。
「ハンナの砂糖漬けが上手だから、余計おいしくできたのよ」
 にっこりしたエリシアに言われると、この人のよい家政婦はすっかり気をよくして、台所は好きに使ってくさだいな、と申し出た。
「ロイ坊ちゃんは奥様似でいらっしゃいますでしょ? 食が細くて、いつも心配だったんです。あら
まぁ、ご覧くださいな、夢中になってほおばってらっしゃる。わたしも料理にはちょいと自信があるんですがね、あんな坊ちゃんは見たことありませんよ!」
 毎日、居間のピアノをエリシアに弾いてもらい、ロイは一緒に歌を歌った。ピアノは母・ローズマリーの嫁入り道具だったものだ。もっとも、ピアノの前に座る母親の姿など、ロイは数えるほどしか見たことがない。
「でも、きちんと調律されているのね。元気になったら、いつでも弾けるようにって考えていたに違いないわ」
 指ならしをしながら、歌うようにエリシアは言った。
「あなたのお母さんのピアノ、あたしは大好きだったわ」
 ピアノの旋律を聞きつけると、父親が居間に降りてくるようになった。彼はただ黙って、ピアノや歌をぼうっと聴いているだけなのだが、よい傾向だ、とエリシアは思った。自分の殻に籠もることを、彼はやめようとしている。そろそろ、自分は身を引いてもいい時期じゃないかしら、と。
 マスタング家の人々はそれぞれ喪服を身に纏ってはいたが、こころの中まで黒く塗りこめられた時間はそう長く続かなかった。ひどくばちあたりなことではないかと、かえって不安になるくらいに。

 エリシア=ヒューズがセントラルに帰る日、駅まで馬車を出したのはロイの父親だった。ロイも同乗して別れまでの一分一秒をも惜しんだ。天気のよい日で、緑が陽によく照り映えた。このうえなく美しい日だとロイは思った。
 父子は彼女を乗せた汽車が姿を消すまで見送った。どちらも無言のままだった。やがて、どちらからともなく互いに目を向け、それを合図に、やはり無言のまま馬をつないだ場所まで戻る。
 彼女がいなくなった屋敷は静かだった。一つ一つの部屋がなんだか広くなったように感じられる。だが、いまも台所の棚の中に、彼女が作ったパイやケーキがどっさりと残っている。それがせめてものなぐさめといえた。













                                                                                                                       
 next






                               


 

 

                                                                                                 

                                                          

                          




SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO