++ What cats feel   6 ++






 
  「エリシアは、父さんに頼まれたから来ていたんだね」  母親ゆずりの白い顔が、このときことさら蒼白く見えたのは、月明かりのせいばかりではなかっただろう。
 世界でいちばん、父よりも母よりも、赤ん坊の頃から世話をしてくれたハンナよりもずっと、自分を理解してくれていると信じていたエリシア。目には見えない、通じ合うなにかを感じていたのは自分だけだったのか。ゆめ見がちな子供の勘違いに過ぎなかったのだろうか。
 だとすれば、これは裏切りですらない──そう思うと、あまりにもやるせなかった。騙された方がまだマシだ。
「それは違うわ!」
 多少出来の悪い生徒が相手でも、根気強く諭すことができるはずの有能な教師は、このとき、教壇上の彼女とは異なっていた。彼女の生徒たちよりもずっと小さく幼いロイに、感情も露わにエリシアは叫んだ。
「あたしはあなたに会いたくてたまらないから来ているのよ、ロイ。でも、あなたのお父様が招いてくださらなかったら、決してここへ来ることはできなかったの、分かるでしょう? ローズマリーがいないいま、あたしとあなたは、なんでもないのよ。あたしにとってどんなにあなたが、大切で、かわいい、特別な子であったとしても、あたしにはなんの権利もないんだわ。せめてあなたが、あたしの生徒だったらよかったのにと、一体何度思ったかしれない。そうしたら、誰にも文句を言わせずに、あなたに会いに来て、話し相手になったり、世話を焼いたりすることができるのですもの」
 ひといきに言ったエリシアの頬は、いつもの薔薇色よりも一層朱みを増していた。
 いっぱしの女教師であるはずの自分が、まるで子供のようにまくしたてている。それも、小さなロイを相手に。
 彼女の頬に浮かぶ薔薇色のうち、数パーセントは羞恥によるものだった。
 一方で、これでいいのだ、とも彼女は思う。
 冷静に諭そうなどとしたならば、ロイはますます自分を信じてくれなくなるだろう。大人の小賢しい計算など、すぐに見抜いてしまう聡い子供だ、ロイは。
 でも、この先は少し、落ち着いて話した方がいい。
 エリシアは呼吸を整え、美しい、ロイの好きな、よく通る声でやさしく言った。
「あなたと一緒にいたいのよ、ロイ。あなたさえいいと言ってくれるなら、あたし、お父様からの求婚を受けようと思っているの。そうすれば、ずっとあなたのそばにいられるのですものね。ローズマリーが死んでからあんまり日が浅いので、いままで断り続けてきたのだけれど」
 噛みしめるようにゆっくりと紡がれた言葉の一つ一つに、珠玉のような愛情が織りこまれていた。エリシアはロイから瞳を逸らさなかった。まっすぐな視線。口元には、いつもの微笑がたたえられている。ロイもまた彼女をじっと見つめていた。
「エリシアは父さんを愛しているの?」
 実際の何倍も長く感じられる沈黙の後、そう訊ねた少年の声はやや上擦っていたものの、彼はいつもの冷静さを取り戻しつつあった。彼には確信があったのだろう。
「ねぇ、ロイ。お父様はあなたに、まだ母親が必要だと思ってらっしゃるのよ。ご自分の妻を求めているのではなくってね。あたしもおんなじ気持ちよ。あなたのお母さんになれたらうれしいんだけど、どうかしら?」
「そうかなぁ」
 ロイはいたずらな笑みを返した。緊迫していた空気が、ふっと吹き払われた瞬間だった。
 少年の得た確証。それは、エリシアに愛されているのは、ほかならぬ自分である、ということ。
「父さんは結構、エリシアのことを気に入ってると思うよ。用もないのに居間に降りてくるなんて、エリシアがピアノを弾くときくらいしかないんだからね」
「ちょっと、大人をからかうもんじゃないわよ」
 唇をとがらせたエリシアが抗議しても、「本当のことさ」と、少年は少しも悪びれない。
「でも、だめだよ」
 歌うように言って、ロイは立ち上がった。
「エリシアが僕の母さんになるっていうのは、いい案だけど一つ欠点がある」
 なによ、と頬をふくらませた継母候補を少年は振り返り、手招きをする。子供の背丈に合わせて彼女が腰をかがめると、形のよい耳につややかな唇が近づいて、なにごとかささやいた。










                                                                                                                        
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