■■ いただきもの ■■
私は剣士、弟は錬金術師。 力勝負の行方など、父も私も弟も知っていた。 むしろ使用人たちを含む家のもの皆にとって、明らかなことだった。
++ 女神の天秤 ++
つまらない絶望の話をしよう。 その頃私はまだ可愛らしい少女で、弟はまだ生まれたばかりだった。
男子はもう誕生しないのではないかという物の見方が一族では主流で、だから祖父の次の錬金術師は長女である私がなるだろうといった雰囲気がただよっていた。 なぜ父が代々伝わる秘伝の錬金術を身に付けることができなかったかというと、父には錬金術の才能の前に素質がないと祖父が判断したためである。
だが、祖父は自分が長生きするから問題ないと公言して憚らず、父は軍人として国に尽くし一族の財をさらに大きくした。 資産ほか我が家は錬金術以外にもいろいろと受け継ぐものがあったので、本当に問題は無かった。 生涯ことばにすることはないが、自分が錬金術師ではないことに対してまったく屈託のない父を、私は尊敬している。 我が家の家風といえば、それまでだが。
私は祖父のことも大好きだった。だから私は自分が錬金術師になることに対して誇りを持ってい た。 しかし母が懐妊して、私が祖父から教えを受けるのは時間をおくことになった。 あっさりと祖父は言った。
「次に生まれるのは男だ。だからお前は安心していなさい」
何故わかるのだと尋ねる私の髪を、大きな手が撫でた。
「錬金術は女の身と業に余る無用のもの。だからこそ我がアームストロング家では代々、男子にのみ受け継がれてきた。これは、そういう理なのだよ」
やさしくあたたかい感触を今も覚えている。
「今は理解できないかもしれないが、お前には生まれつき錬金術よりも素晴らしい能力が供わっている。神から与えられたそれを大切にして、幸福な人生を過ごして欲しい」
祖父の予言は成就した。子供は男だった。 しかも成人した弟の声は祖父とまったく同じといっても良いほど、よく似ていた。 だから私が弟を忌々しく思うのも、等価交換などというくだらないものよりも至極もっともな理というものだ。
そして祖父の言ったとおり、私は自分が本気で錬金術師になりたかったわけではないことに気づいた。 祖父は私に代々の術を受け継がせることはできないが、どうしても弟子入りしたいなら信頼の置ける師を紹介してやるがどうする、と打診することによって私に自分の嘘をさとらせたのだ。ショックだった。
自室に戻って私はひとりで泣いた。しかし三日もすれば腹が減った。絶望とは、そういうちっぽけなものだった。 しかし私は自分の信じていたものを失ったし、確かに自身の望みを絶つほかなかった。
しかも男子の誕生は、祖父の年齢とのぎりぎりまでの頃合いを見ていたため、私はもう少女の終わりの時期に差し掛かった年齢だった。 かといってあっさり嫁に行くなど考えられない。 これまで信じていた自分というものが虚実であったのに、自分の人生を選ばねばならなかった。 むしろ勝負はこれからだと、私は知っていた。
幸か不幸か、私はこの国では有数の富と伝統を持つ家の娘だったので、選択の幅は広く恵まれている。 幸い家柄よりも家風が優先される我が家では、結婚も労働も修学も強要されることはない。 まったく悪びれ無く祖父はルイの英才教育をはじめたし、両親も私にどんな種類の圧力もかけてこなかった。
私はこの国のため、アームストロング家の血を継ぐものとして戦う人生を選びたかった。 それだけは自分の本当だと信じていた。 長女として養った私の自意識は塗りなおすことができる地点を越えていたし、また私には卑屈になる要素はなかったので素直に軍人になることを選んだ。 ばあやだけが、心配顔だった。
そして時が経ち私は北に自分の城を構え、弟は国家錬金術師の資格を持つ万年少佐を満喫している。 「イシュヴァールの英雄」などとは格が違う「ブリッグスの北壁」という二つ名は、軍が女性である私に与えたものだった。もう祖父は亡くなっていた。
弟からの紹介状を携えたエルリック兄弟が私の城であるブリッグス支部を訪れた日のことはよく覚えている。 その日はキャスリンからの荷物が届いた。 セントラルの化粧品店のシャンプーなどが入っていた。 今回は期間限定の香りのものらしい。私と末の妹は一族の女の中では珍しく通常サイズだったせいか、やり取りが細々と続いている。 そしてなんと、ハボックと見合いした報告の手紙が同封されていた。 我知らず舌打ちしてしまった。 知ってはいたが、中央招聘は先を越された。 もっともあちらは国家錬金術師資格、そして私は家柄を含めての出世ではある。
手紙の最後は「お姉さまのライオンのたてがみのような美しい髪がもっときれいになりますように」と結ばれている。 妹からの久しぶりの荷物は、正直ありがたかった。 今夜はシャンプーと同じ香りの入浴剤でゆっくりしようと考えていた矢先、あの兄弟が私の城に現れた。 それから先は死なない人間をはじめとする国家陰謀ならぬ陰謀国家との戦いの連続だ。 このように、とにかく私の人生にとって男と錬金術は鬼門だった。 そして兄弟のはなしに出てきた二人の師匠の存在は、私をひさしぶりに苦い気持ちにさせた。
『お嬢さま』
私を可愛がってくれたばあや(こう言うとあの世にでもいるようだが、今も健在で我が家に仕えている乳母だ)は士官学校に入学する私を見送るとき、哀しげに言った。
『どこにゆかれても、きっと、おぐしを大切になさってください』
彼女が愛情ゆえ私にもっと平凡な人生を歩んで欲しがっていることを、私は理解していた。 血のつながりがないせいか、私にとって彼女のそれは祖父の言葉のように重いものではなく、やさしく温かいものだった。
『わかった。代わりにお前も長生きして、顔をみる度に私が美しくなっていくのを確認して欲しい』
小柄な彼女と私はゆびきりの約束をした。 しかし私はあまり実家に帰ることはなかった。 だが私は髪を短くしたことがない。これからも、きっとそうだろう。
弟と同じで違う鎖が、私の首にもまたつながっている。 もちろん、今では祖父の発言が差別ではなく区別だったことも、私を愛するがゆえの言葉だったことも理解している。十二分に。
しかし、私はまだ自分が女であることに不自由を覚えていた。誰も信じないだろうし、私もうっかり忘れることが多いが、未だ私の中にはぬぐいきれない弟に対するくだらない嫉妬が残っている。
生まれながらに私の得ることのできなかった望みを男子だというというだけで手にいれた彼が、イシュヴァールで涙を流したことを知ったとき、浮かんだのは「腰抜けめ」という罵りだった。
昔にきっと自分は錬金術師になるのだと無邪気に信じていた少女の涙が今の私を振り回すことはない。 それでも、心のどこかで彼女は私を見ている。 あのときの絶望と引き換えにした自分の人生を。
でもそれでいい。そうおもったから、私は自分の剣と共にこの家に帰ってきた。
「あのような腰抜け、アームストロング家の名に泥を塗るだけです」
家督と隠居を迫る私に父は少しの間だけ沈黙したのち、私と弟に闘うことを命じた。 それだけで、父が正しく理解してくれたことがわかった。 私は剣士、弟は錬金術師。そして私は、女だった。
マスタングと違ってイシュヴァールで盤上の駒であることを拒んだ弟が、私の目の前に転がっている。
「姉上……」
剣を鞘におさめる。勝敗は決まっていた。 豪奢なカーペットの上で弟は私を見上げている。 当たり前だが、彼は一度も錬金術を使わなかった。
腰抜けは腰抜けなりに事態を正しく把握している様子だが、私は何も言わない。 低い声でうめく弟の声はやはり祖父や父と同じだったが、さほど忌々しくは感じなかった。
【Flat Side】のkumaさまからのもの。 オリヴェエが読みたい! そんなわたしの呟きを しっかと覚えていてくださったのです。 ↑云ってみるもんだな! 素敵なサプライズをありがとうございました。
(2008.6.11)
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