■■ いただきもの ■■
++ 愚者の空騒ぎ ++
「大佐、あっちに珍しい楽士が来てますよ。行ってみませんか」 「いらん、私の趣味ではない」 「……えーと、じゃ、じゃあ何か食いますか?アンタが好きな甘いもんも色々……」 「さっきもそう言ってよく分からん揚げパンのような菓子を食わせただろうが。ハチミツがべっとりついてるわそこに砂糖までまぶしてあるわ、おかげで胃がもたれそうだ」 「って、んなこと言いながら全部ぺろっとたいらげ……や、ナンデモアリマセン」 自分より頭一つ分低い位置から、射抜くような黒曜の双眸にギロリと睥睨されたジャン= ハボックは賢明にもその先の科白を紫煙に濁らせ虚空に吐き出した。
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イーストシティから列車で南へ半日ほどの距離に位置する交易都市、ビブロス。古くから行商の拠点として発達してきた歴史を持つこの街は、軽く汗ばむ程度のカラリとした気候に、石灰の土塀で作られた白い建築物が多くを占める独特の風景、そして様々な国や地域の人間が訪れる開放的な雰囲気が相俟って、年間を通し人気の観光地としても有名なのだが。 その中でも、おそらくこの数日は人口密度が最大値に達するのだろう。何故なら、 「っと、あぶね。いやぁホント、すっごい人ですね。うっかりしてると流されそうッスよ」 「祭りなのだから当然だろう。大体、貴様は自分の姿を鏡で見たことがあるのか?可憐なご婦人でもあるまいに、軽いのは頭の中身ばかりのむさ苦しい筋肉男が流されるなどと厚かましいにも程が」 「はいはいはいはい申し訳ありません失言でしたサー」 そう、今は祭りの真っ最中だ。 このビブロスで年に一度行われる、旅人の安全と商売の成功、そして良き出会いを願って 始まったとされるこの祭りは、国内外の珍しい品や料理が所狭しと屋台を並べ、また様々な踊り子、楽士の一団による街を上げての大規模なパレードが評判を呼び、今ではアメストリスを代表するフェスティバルの一つとなっている。おまけに、一体どこから派生したのか、この祭りに恋人同士で訪れると幸せになれるという妙なジンクスまで出来てしまったおかげで、周囲を見回しても心なしかカップル率が高い。 腕を組み、幸せそうに笑い合う彼らの姿を否応なしに見せ付けられ、次いでこちらを見ようともしない隣の存在へちら、と視線を走らせて、ハボックは本日何度目になるか知れない溜息を吐き出した。 その瞬間を見計らったように、孔雀の羽を連想させる派手な飾りを背に纏い、露出度の高いラメ入りの衣装を身に着けた踊り娘たちが大通りの向こうから姿を現し、周囲の観客たちからワッと盛大な声が上がる。 他人より頭一つ分ほど高い視線のおかげで、人ごみの中にあっても彼女たちの華のような笑顔と健康的に焼けた肌、メリハリのある肢体を拝むのに支障はない。が、普段ならそれだけでテン ションが1オクターブは上がるであろうその光景にも、しかし今のハボックはとうてい目をやに下がらせる気分にはなれなかった。 原因は言わずもがな、そんな周囲の喧騒など意識にすら入っていないかのように、不機嫌なオーラを撒き散らしまくって下さっている傍らの人物で。 「……大佐、あの……どしたんスか?何か気に入らないこと、ありました?」 「いいやまさか、この上なく楽しんでいるとも。誘ってくれて感謝しているよ、ハボック少尉」 わざわざ階級をつけてくるときは要注意だ。 科白とは裏腹の、固く味気ないライ麦パンのようなその口調に、ハボックはがっくりと肩を落とした。 こういう祭りを経験したことがないという上官兼恋人をここへ連れてくるため、ほぼ一ヶ月休みなしで仕事を片付け、影の実質権力者である副官殿をどうにか説得してもぎ取った、二日間の揃いの休暇。 確かに提案したのは自分だし、そのせいでデスクワーク大嫌いなこの上官にも大分無理をさせてしまった自覚はある。だが、それでも誘いに乗ってくれたのだから、多少は楽しみにしてくれていたのだと思っていたのだが。 (……いや、してくれてたはず、だ) 例のジンクス絡みのシタゴコロも、こっそりあったことは確かだけれど。少なくとも道中までは、こんな妙な雰囲気ではなく、目に見えて上機嫌というわけではなくとも笑顔もあれば会話も普通に成り立っていた。それが、この街に着いた頃からブリックス山の天気のように徐々に怪しくなり始め、今では数歩前も見えない猛吹雪だ。 しかし、これまでの状況をいくら振り返ってみても、一体何が上官の不興を買ってしまったのか検討もつかないのだからどうしようもない。 「大佐、あの……」 かといって、いつまでもこんな状況のままでいるわけにもいかないと、途方に暮れかけた ハボックが再び隣へと目をやって。
そこでようやく、見慣れた黒髪の丸い頭が消えていることに気がついた。
「―――…大、佐っ!?」 その事実を脳が理解した瞬間、弾かれたように周囲を見回すもいらえはない。いくらなんでもこんな見知らぬ街でわざと姿をくらますような真似はしない――と信じたい――だろうから、おそらく人ごみに紛れている内に逸れてしまったのだろう。 つまりは流された、と。 「人に、散々言っといてっ!!」 悪態つきながらも、普段なら絶対に有り得ない己の失態に、ハボックは大きく舌を打ち踵を返して周囲をかき分けた。 私服の上官をして、イシュヴァールの英雄と気付くような者はいないだろうが、それでもイーストシティに比べれば遥かに多くの種類の人間が入り混じる場所、何があるか分からない。そも、あの人を一人にするなど護衛としても恋人としても論外だ。 「きゃっ!?」 「すまん!」 肩にぶつかった女性を振り返る余裕すらなく、流れに逆らいながら必死に四方へ目を走らせる。視界を埋め尽くす、様々な色の肌と髪。人種の博覧会のようなその光景の中に、しかしハボックが求めるたった一つの色彩の組み合わせは見つからなくて、焦りばかりが募ってゆく。耳の後ろがドクドクと喧しく脈打ち嫌な汗がつう、と頬を伝い落ちるのを、乱暴に手の甲で拭おうとして。 その拍子にふっと目の端を掠めた黒檀と象牙の色を持つ人間と、それに絡んでいる数人の男達の姿に、ハボックは考えるより早く声を上げていた。 「大佐っ!!」 雑音に近い喧騒を切り裂くように響いたその声に、周囲がぎょっと振り返る中、弾かれるように此方を振り向いた鵺のような双眸がハボックの姿を確かに映した。その瞳がほんの一瞬、何かを訴えるように歪んだ気がして。 しかし次の瞬間、上官は自分を取り囲むゴロツキたちの内、腕を掴んでいた一人を思い切り蹴り飛ばすと、間隙を縫うようにスルリとその場から駆け出した。ハボックと、逆方向に。 「ちょっ…大佐!?」 常々こちらの予想の斜め上を突っ切って下さる上官殿とはいえ、全く想定していなかった事態に思わず一瞬停止した思考を呼び戻したのは、皮肉にも上司に絡んでいたらしい男達の品のない怒鳴り声で。 「っ!!」 よりにもよってあの上官を世間知らずの金持ちお坊ちゃんか何かと勘違いしたらしい、後を追いかけようとした男達が、目の前を横切った楽士の一団に足止めされているのを、近づいて全員叩きのめしてやりたい衝動にかられながらも、今はそれどころではないとすんでで己を律して駆け出した。 西洋人に比べれば小柄な体躯が、あっという間に人の波に呑まれてゆくのを、見失ってなるものかと必死で追いすがり。 その姿が視界から消える直前、がむしゃらに伸ばした手が白いシャツに覆われた腕を捕らえたのは、多分奇跡に近かった。 「大佐、待ってください!」 「離せっ!!」 自分より一回り小さい、けれどしっかりと筋肉のついた二の腕の感触を仕立てのいい生地越しに感じながら、ぐ、と指に力を込めて引き寄せれば。しかし上官は毛を逆立てた猫のように眦を吊り上げ、拘束を外そうと足掻き始める。 一見すれば育ちのよさそうな青年が、お世辞にも紳士的とは言えない男と言い争う様に、集まり始めた好奇の目から逃れるように、ハボックはその大きな猫をどうにか路地の隙間まで引っ張り込んだ。 もう一方の手首を掴んで壁に押し付け、黒いスラックスを身に着けた足の間に膝を割り入れた格好は、大通りから垣間見れば祭りの雰囲気に酔った恋人同士が情を交わしているように見えるのかもしれないが。 「離せと、言ってる!」 「……あのですね」 ぜいぜいと息を切らせ、今にも噛みつかんばかりの眼差しでギロリと睨みつけられるハボックにしてみれば、これはれっきとした自己防衛行為だと声を大にして叫びたい。離したが最後、多分自分は燃やされる。 「一人にして、すみません。さっきの連中に何かされませんでしたか?」 「足を踏んだ踏まないでくだらん因縁つけてきたゴロツキ共に私がどうこうされるわけないだろう!あんな連中、私一人でもどうとでもなった!分かったら離せ!」 「って、離したら逃げるでしょうが!」 本当に、一体何がここまで恋人の機嫌を損ねてしまったのか、いい加減この辺りではっきりさせなければとハボックは溜息を一つ吐き出し、腹を括った。自分は、こんな言い争いをするために上官をここまで連れてきたわけではない。ただ楽しい、優しい思い出を作って遣りたかっただけだ。そしてその中に、自分の姿もあって欲しかっただけだ。自分の隣でただ、笑ってほしかっただけ、だ。 「……ねぇ大佐、アンタ一体何をそんなに怒ってるんです?」 頑是無い子供に問いかけるようなその科白に、黒い瞳が一瞬揺らぎ、それを隠すかのように視線が地面へ落とされる。しかしここで引く気も、ハボックにはない。 「誘ったの、迷惑でした?祭りが気に入りませんでしたか?そりゃ、人は多いしさっきみたいな連中もいるし、恋人同士で云々なんてジンクス、アンタにしてみりゃ馬鹿馬鹿しい子供騙しもいいとこなんでしょうけど……。それとも、俺が何か気に障ることしましたか?言ってくれなきゃ分からないですよ」 「…………」 「たい」 「っ呼ぶな!!」 飼い主に置き去りにされた犬のような情けない声音を遮るような、鋭い言葉が唐突に耳を 打った。けれどもそれは、普段聞きなれたどこまでも横柄な司令官としてのものではなく。 「……大、佐?」 「呼ぶなと、言ってる!」 今にも泣き出しそうな、癇癪を起こした幼子のようなその声に、ハボックは思わず目を見開いた。数瞬落ちた沈黙の後、ハボックの視線の先で、激情の余韻を吐き出すような溜息と共に、操り糸が切れたかのように一回り小さな身体から力が抜ける。戦慄くような掠れた呼気が薄い口唇から幾度か漏れて。 「……っ何が、ジンクスだ。そんなに好きなら、いっそ軍と結婚してしまえばいいだろう」 苛立ちと諦念の入り混じった呟きが、ぽつりと落ちた。ギリ、と歯を食いしばる軋んだ音が、狭い路地に響いて消える。 「え、と……」 右巻きの黒い旋毛を見るともなしに眺めつつ、ハボックは我ながら間抜けだと思う他ない呟きをぽつりと漏らした。 どうやらやはり、この上官の不機嫌の原因は自分らしい。しかもこの様子からすると、こちらの言動―――…それもある一つの単語にのみ、過敏に反応しているようで。 そこまで考えて、ふと思い至ったある可能性に、ハボックは思わず上官の手首を掴む指に力を込めた。また新しい仮装の集団が来たのだろう、大通りがわっと沸き立ち、周囲に撒かれた花びらが数枚、風に乗って路地裏まで入り込み、癖のない黒髪にハラリとかかる。 もしこれで自分の予想が外れていたら、多分今度こそ燃やされるんだろうなぁなどと内心冷や汗をかきながら。しかし妙な確信を持ってハボックはゆっくりとその単語を言の葉に乗せた。 「……ロイ?」 誰より大切なたった一人の恋人の、けれど呼び慣れないその名を拙く紡げば、瞬間目の前の上官が弾かれたように顔を上げた。 鼻の頭を弾かれた猫のように面食らったその顔に、自分の予想が違っていなかったのだと確信し安堵する。と同時に、何だか酷く力が抜けた。ああ、もう。 「…………アンタ、ねぇ」 「っ!?は、離せハボック!おい!!」 全身を襲う脱力感に誘われるまま、その肩口へ額を押し当て、ジタバタ暴れる体を閉じ込めるように両手できつく抱きしめる。当然、己の背中に上官のちょっと洒落にならない重い拳がドカドカとめり込むが、今はそんな衝撃に噎せている場合ではない。 要するにこのどうしようもないイキモノは。周囲が恋人同士で溢れ返る中、他人行儀な呼称を貫く自分の態度に拗ねていらっしゃったというわけで。 普段、公私を問わず恋人をその階級で呼んでも全く気になどしていなかったくせに、今日に限ってこんな態度を取るということは、そんな馬鹿馬鹿しい子供騙しにうっかり感化されてしまう程度には、自分と過ごすこの祭りを楽しみにしていてくれたということで。 「離せと、言ってるだろうっ!!」 分かりにくい。 ああもう本当、なんでこのイキモノはこんなにも分かりにくくて奇想天外で我侭で。 「……あの、ですね。こんなアレな科白、一回しか言わないってか言えないんで、しっかり聞いてて下さいね?」 なんでこんなにも、凶悪に可愛いのだろう。 「確かに俺は一応軍人やっちゃったりしてますが」 だが、あんなむさ苦しい筋肉野郎の巣窟に永久就職する気は断じてない。そのぐらいなら、迷うことなく生涯独身を貫いてやる。 髪についた花びらを指で払い、そっと腕の力を緩めれば、途端自由を取り戻した上官が両手でハボックの胸を押し、ギッと此方を睨みつけた。けれどもその年不相応な童顔は、怒りでか羞恥でか、頬どころか耳までもがホットドッグにかけるケチャップのような鮮やかな色に染まっていて。 ああもう本当に、どうしようもない。 「俺が忠誠誓ってるのも愛してるのも、一緒にこんなところまで来たいと思うのも。アンタだけですよ、ロイ」 「―――…っ……!!!」
次の瞬間、凶悪に可愛くて凶悪に凶暴な恋人の繰り出した、派手な平手打ちと続く怒声は、しかしそんな二人の空騒ぎを見計らったように上がった祝砲の音に掻き消され、幸いにも大通りには届かなかった。
如月時雨さまのサイト【End Cedit】での お正月企画でリクエスト権をGETしました。 年明けからなんて縁起のいい! お願いして書いていただいたのがこちら。 判り難いが判っちゃえばもうたまらん!なロイが 最高だと思いませんか。 如月さま、本当にありがとうございました。 わしはしあわせもんです。
(2008.1.25)
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