++夢みる宝石2  ‡1++





息が止まるかと思った。

 

【ボディ】を持たないわたしに、相応しくない表現だろう。
だが、信じられないことに、ナノセカンドにも満たない僅かな間、回路に緊張が走った。
ヒューズは気づかなかったろう。時間をかけて走査しなければ、誰も気がつかないほどのバグ。
ただリザだけが、そっと問いかけるようにアクセスしてきた。
わたしは素知らぬ振りでやり過ごす。
リザは気づいてしまっただろうか。
 
わたしは、もたらされた情報と、そして何よりこの【感覚】を、今は誰にも知られたくなかったのだ。
だから、そっとそっとしまいこんだ。
まるで、たからもののように。

そう、たからもの。

たいせつな、たいせつな。
――わたしだけの、秘密。





マース・ヒューズは、わき目も振らず、ひとり奥へと進んでいった。
普段の陽気さが微塵も感じられないヒューズに、すれ違う職員たちは、すわ緊急事態かと浮き足だった。上司に知らせに走った者すらいる。
だが、ヒューズは周囲の状況に些かも頓着することなく、最奥へと進み、ある一室のドアをくぐった。
広い行政府の中でも、この一角まで足を運べるのは、行政長官であるヒューズと、それなりの地位にある職員だけだ。所謂、シークレットゾーンである。
その部屋はさほどの広さはなかった。薄暗い照明の中にぽつんとひとつ、培養層が静かに横たわっているのみの、殺風景きわまりないところだった。

「【ロイ】、準備はどうだ」
『…もう【ロイ】ではありませんよ』

ヒューズはいつになく緊張していた。いや、興奮していると云った方がいいのかもしれない。彼らしくもない口調の問いかけに、若い女性の声が静かに答えを返してきた。

『メイン・ブレインは私、【リザ】です。移行は十五分前に完全に終了しました』

もう後戻りは出来ないと、【リザ】は暗に告げているのだ。

「…そうか。じゃあいつでも始められるってわけだな」
『出来るだけ早期の実行を。…【ロイ】のためにも』 

彼女が【ロイ】と云うときに、硬質な声にほんの少し温かみがさしたように思えるのは気のせいだろうか。ようやく落ち着きを取り戻したヒューズは、楽しそうに唇の端を上げた。

「よし、いいぜ、【リザ】」
『了解しました。…フィジカル数値、サイコ数値オールグリーン。
記憶抽入問題なし。覚醒信号送信開始。羊水、排出開始します』

淡々と状況を告げるリザの声に合わせ、培養層についたゲージの数々が、じれったい程にゆっくりと動き出す。

後戻りは出来ない
問題はない、おきるわけがない。

判ってはいるが、ヒューズは培養層のカバーが開くまでの時間が、永遠のように思えてならなかった。ほんの数分が、これほど長く思えるのは、最愛の妻のグレイシアの出産のとき以来なかったことだ。
 
どれほど、この時を待ったことだろう。
客観的な時間の経過と主観のそれとが、必ずしも一致しないことを、遅々とした動きの、ゲージの数値が告げていた。
それでも間違いなく、その『とき』は来る。

『排出完了。肺呼吸開始確認。異常は認められません』

ヒューズはほっと息を吐いた。無意識に息を止めていたらしい自分に、思わず苦笑してしまう。

「…開けてくれ」

そして、俺の(勿論、所有する気なぞないけれど)おひめさんの顔を拝ませてくれ。

培養槽のカバーが、音もなく開かれた。

「ロイ!」
 
すがりつくように培養層に駆け寄り中を覗きこんだヒューズは、らしくもない悲鳴をあげた。

「どういうことだこれは!」



「まったく、産まれて初めて耳にした声が、男の悲鳴だったとはね」

ロイはやりきれない、という表情を浮かべてヒューズを見た。
【ボディ】の感覚をつかむまで、ロイは長官専用のプライベートエリアの一室で過ごすことになった。
目覚めてからの間に、この手のヒューズの繰言を何度聞いたことだろう。これから先が思いやられると云うものだ。

「うるせえ。だっておまえ、女性型のはずだったろうが」
「なんで断定するんだ」
「俺は男と二人三脚で仕事をする趣味はないし、なかった!」
 
俺は女性専門。両刀(バイ)が主流のこの時代、貴重な存在だ。

人類がその生活圏を宇宙に広げ、寿命を格段に延ばして久しい。平均寿命は二百年をゆうに越え、老化のスピードもコントロール出来るようになった。
宇宙は広く、人はその手を貪欲に伸ばし続け飽きることはない。
広がり続ける生活圏をカバーするために、星系ごとに自治権を認め、星系を統括するべく中央行政府が設けられている。

日々増え続けえる中央行政府の業務は、ひとの手では到底処理しきれず、いきおい、優秀なブレイン―すなわち、コンピュータが必要となっていた。
悪夢としか云い様のない、有機コンピュータ―それは人間の頭脳を核に据えたものだった―は既に過去のものとなった。
現在は、それ以上の能力を有した無機コンピュータが開発され、その最たるものが、中央のメイン・ブレインなのだ。

長きにわたり、安定した政権を保ち続けてきたマース・ヒューズ行政長官の手腕は、万人が認めるところだった。
それが、優秀なメイン・ブレインとの、類稀な協力の賜物だと誰よりも心得ているのは、ヒューズ長官その人だった。

中央行政府の中枢を担うそのメイン・ブレインの名は、【ロイ】と云う。いや、かつては【ロイ】と云った。
過去形なのには理由がある。
彼はメイン・ブレインの座をおりたのだ。

――有機生命体のボディを得て。

【ロイ】は、人間になったのである。

「俺に黙ってそんな姿になるとはな。俺のバカンスどうしてくれるんだ」
「ヒューズ。わたしが男性型であることと、おまえのバカンスとの相関性がまったく見えないのだが」
「いいか?俺はな、おまえのリハビリを兼ねて、田舎のコテージでのんびり過ごすつもりだったんだ。おまえのレディ教育も兼ねて、だ!」

何処に出しても恥ずかしくない、一流のレディにするつもりだったのに。
バカンスの仕上げにドレスをたくさん誂えて、おまえのエスコートを務めるつもりだったのに。

「…まったくおまえは」

ロイは器用に片眉だけ上げると、ヒューズを見た。
ヒューズが口を開く前に、ころころとした女性の笑い声が間に入った。ヒューズの妻、グレイシアである。

「何がおかしい?」
「だってロイ」

おかしくて堪らないと云った調子でグレイシアは続けた。

「あななたち、そっくりなんですもの」
「「…あなたたち?」」

ロイとヒューズが、打ち合わせでもしたかのように、声を揃え、お互いの顔を見合わせた。

「ええ。その眉を片方だけ上げるのって、マースの癖よ?」
「俺、そんな癖あったっけ?」
「そりゃ、自分の顔のことだものね」

気付くわけないでしょう?

楽しそうに云うグレイシアに、二人はまったく納得いかない風だ。

『ミズ・グレイシアの仰る通り、長官にはそんな癖があるようですね』

画像データを検証していた【リザ】が、更にダメ押しをする。

「マースが新人の頃から一緒だったんですもの。似るのも道理よね」
『ミズとの時間よりも長い、と云うことですね』
「その通りよ、【リザ】」
「全然、嬉しくない…」

ヒューズの顔がだらしなく緩んでいたのを、がっくりと肩を落としたロイは気づくことは無かった。


グレイシアとヒューズが退室し、ひとりになったロイは、ベッドの上で天井を見つめながら、そっと右手を左胸の上に置いた。
【情報】は移行の時にデリートした。【感覚】を持ってこれるかどうかは賭けだった。
ロイはゆっくりと目を閉じた。

回路を震わせたあの【感覚】は、間違いなくここにある。
これだけは持って来たかった、たったひとつのもの。

【ボディ】を培養する十ヶ月間は、移植するデータの選定に、【リザ】と共に大わらわだった。
持って行くもの、おいていくもの。インデックスをつけ、ああでもないこうでもないと、【リザ】と作業に熱中したものだ。

でもそれは、あくまで【データ】の移行についてだけ。

なぜなら、【リザ】は知らないのだから。

今は、わかる。
――わたしは、賭けに勝ったのだ。
















                               


 


再録です。

2006年2月に、拍手お礼として
あげていたSSをオフか化した時に
かきおろしたもの。

お礼SSのほうが
「人→機械」だったので、
「機械→人」の話にしてみました。

オフ本完売していますし
出してからかなり経ってますんで
後生shご容赦ください。




(2006.2.18)

                                                                                                 

                                                          

                          



SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO